この小さな手はいつまで 〜”今”という時の貴重さに改めて気づいた話〜

こんにちは、mikiです。
先週、今週と、子どものことについてよく考えています。
今はまだ幼くて、小さくて、親がいないと生きていけない存在だけど、もう10年、15年もしたら、この家を巣立って行く時がくるんだなと思うと、今この時がとても貴重だなと思います。
肘を曲げ、手を顔の横に持ってきた状態(Wのような形・・・伝わるかな?)で寝る、あの幼い子供独特の寝姿。
これもあと何年見られるのかな。
小さい小さいと思っていた手も、だんだんと少しずつ大きくなってきていることにふと気づく瞬間、嬉しいような少し寂しいような。
子どもとの関わりで大切にしたいことを改めて考えてみたいと思います。
何気ないやりとり

朝の「おはよう」
「お母さん、こっちきてー!」
毎朝、2階の寝室から、大きな声で呼ばれます。
まだ、朝の仕事が終わっていないのにこの声がかかると、ちょっとため息をつきたくなります。でも、布団にくるまって隠れて待っているこつんを思うと、行かないわけにはいきません。
そして、布団から起き上がると、満面の笑みを向けてくれます。
1日の中で、この瞬間が特にいいなと思う毎日です。
こんな瞬間、今しかないんだろうな。
ちょっと面倒くさいなと思っても、この時間は大切にしたいなと。
登園時間
「早く、早く」
時間ばかり気にして、この言葉をかけていた時期があります。
今もたまに言ってしまうけれど、こんな言葉、言わないほうがいいな。
横断歩道のシマシマの数を数えながら歩く。
通る車をまじまじと観察する。
落ちている枝や葉っぱ、花びらを拾い集める。
どのくらい高くジャンプできるか自慢げに見せてくれる。
大きな口を開けて降ってきた雪を食べる。
横断歩道のシマシマの数を数えながら歩く。
通る車をまじまじと観察する。
落ちている枝や葉っぱ、花びらを拾い集める。
どのくらい高くジャンプできるか自慢げに見せてくれる。
大きな口を開けて降ってきた雪を食べる。
こんなこと、高校生になってもやっている人なんかいません。
そしてこれは、一緒に歩いて登園しているからこそ見られる姿。
最初は、体力をつけるため、足腰鍛えるため、そう思って毎日30分歩かせていたけれど、最近は、この時間のコミュニケーションがとても尊いなと思うようになってきています。
あと2年、楽しみたいな。
一緒にトランプ
「ジジ抜きしよう」
平日の夜は、こつんと二人っきり。
夫が帰ってくるのは、こつんが寝てからです。
トランプのババ抜きやジジ抜きなんて、二人でやってもちっとも面白くありません。
それでも、こつんは、「すっごい楽しい!」と言って、毎晩やることがもはやルーティンになっています。
トランプを始めると、猫たちも必ず寄ってきます。
場を盛り上げてくれてるのか??
勝負に勝って気分よく眠りにつけるのであれば、二人トランプも悪くないな。
「おやすみ」
「おやすみ」というのは私だけ。
こつんは「おやすみ」と言いません。
眠る直前まで、何やらお喋りしているからです。
そして、何か質問してきたなと思って返事をしたら、もうその瞬間に眠っているなんてこともしばしば。
人は、こんな一瞬で寝付くのかと驚きます。
いつまで隣で寝てくれるのだろう。
なるべく早く、別室で寝かせた方がいいなんて噂も聞いたことがあるけれど、そんなことしなくても、いつか勝手に一人で寝たいと言い出す時が来てしまう。
寝ているほっぺをふにふにしながら、しみじみと思います。
かけがえのない時間

皆さんにとって、かけがえのない時間とは、どんな時間でしょうか。
普段、忙しく過ごしていると、そんなこと考える余裕もないですが、寝る前とか、ちょっとした一人の時間に考えてみると、日常の尊さにはっとすることが、もしかしたらあるかもしれません。
子どもの節目に合わせて、自分の生活も少しずつ変わるんだろうなと未来のことを考えつつ、今の行動を改めたいなと思う今日この頃です。
今日も穏やかに過ごせますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。